思想の強制

参照:

黒川亨子『「学校の常識」を法的観点から問い直す―人権教育を「砂上の楼閣」にしないために―』

立命館法學2021年5・6号(2022年)316頁以下 など。


学校の事例

従来から問題となっている

 ① 君が代、日の丸問題

 ② 黙祷の強制     に加え、

 

近年では、

 ③ 10歳(小学校4年生)時に、両親への感謝の手紙を書かせたり発表させたりする「2分の1成人式」や、

 ④ さいたま市教育委員会による、コロナの治療に取り組む医療従事者への謝意を表明するために、

  子どもたちからの拍手を送るパフォーマンスなどがある。

 

https://www.city.saitama.lg.jp/006/014/008/003/009/003/p073573.html

さいたま市ウェブサイト(令和2年6月11日記者発表)さいたま市から医療従事者に対する謝意の表明 

Clap for Carers ~10万人の子どもたちから「ありがとう」の拍手を届けます~

(2024/09/13最終確認)

 

 さいたま市教育委員会は、「これまで多くの人々の命を支えてきてくださった医療従事者の方々に

感謝の気持ちを込めて、10万人の子どもたちから一斉に『ありがとう』の拍手を届ける取組」として、

令和2年6月15日(月)午前10時00分に、全ての市立小・中・高等・中等教育・特別支援学校(168校)の

児童生徒に拍手をさせた。

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(令和2年6月11日記者発表)さいたま市から医療従事者に対する謝意の表明 Cla
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法的観点からの検討

ここでは、④を取り上げ、検討することにする。

 

 思想・良心の自由(憲法19条)は、個人の尊厳に直結する人権であり、

個人の自律に対する最終的な砦と位置付けられる。

 

 個人の領域には、国家が絶対に踏み込こめない場所があるからこそ、

個人の人格的自律が達成される。

 また、思想・良心の自由は、「公共の福祉」による制約を受けない、絶対無制限の権利である。

 

 それゆえ、このような当該人権の性質を踏まえるのであれば、

憲法尊重擁護義務を負う教員としては、思想の強制になりうる活動はそもそも行わないとの判断が、

通常であろう。

 

 まして学習指導要領で要求されていないのに、物議をかもす内容の取組みをわざわざ行う必要はない。

実施する場合には、人権侵害にならないように細やかな配慮が必要となり、非常に手間がかかる。

 また、いくら子どもたちに拒否の自由があり、強制されないといっても、

反対の声を挙げることのできない子どもたちは一定数おり、そのような取組みを行うこと自体が、

人権侵害を引き起こす危険性があるからである。

 

 人権について理解不十分な教員が、また多忙な教員が、

学習指導要領で要求されていないのに手を出すべき事柄ではない。

 

 また、①君が代、日の丸のように、学習指導要領に記載があるものについても、

憲法違反にならないように十分慎重に行う必要がある。

 すなわち、子どもたちに、「思想・良心の自由」に基づくやりたくない自由を十分に保障したうえで、

実施しなければならない。仮に拒否の権利を使ったとしても、何ら不利益を受けることはないので、

参加したくない場合は、安心して申し出るように、との丁寧な事前の説明も必要である。

 

 お子さんが、医療従事者への拍手パフォーマンスに参加させられた方から、

中には、「結果的には、いい取組みだった」とか「クラス皆で考えるいい機会になった」と評価される

保護者の方もいた、とお伺いした。

 

 しかしながら、多くの人が「いい取組みだ」と感じることができる取組みであれば、やっていい、

というわけではない(ex.1/2成人式)。

 

 憲法は、少数者の人権を守るためにこそ、その価値がある。

 

 今回の事例は、行政が主体となって、「感謝の意を表しましょう」と

一般国民である児童生徒に感謝の形としての拍手を強制し、

「思想良心の自由」を侵害したことが問題なのである。

 

 また、「相手が傷つくから、人権を侵害してはいけない」わけでもない。

確かに拍手パフォーマンスによって、自分の人権が傷つけられた、侵害されたと感じる

児童生徒は、ごく少数だろう。

 しかし、傷つかない、意識しない状態で発生する人権侵害もあることを認識しなければならない。