連帯責任

参照:

黒川亨子『「学校の常識」を法的観点から問い直す―人権教育を「砂上の楼閣」にしないために―』

立命館法學2021年5・6号(2022年)316頁以下 など。


 学校においては、他人の行為について連帯責任を取らされることがある。

 

 例えば、

 ① 休み時間に、一部の児童がボール遊びをし、ボールを片付けるのを忘れたら、

  クラス全員が、「〇日間ボール使用禁止」の罰を受ける

 ② クラスを班に分け、「~(忘れ物、掃除をさぼる)をしないように、

  班で注意し合おう」との目標を作り、目標が達成できなければ、

  班のメンバー全員が罰や注意を受ける、などの事例である。

 

   私が小学生だった頃(30~35年位前)、連帯責任を取らされることがよくあり、

  非常に不合理に思っていた。

   なぜ、きちんとやることをやっている私まで、先生に怒られるんだろう、

  罰を受けるんだろうとの不満である。

 

   このようなことは、現在では行われていないのでは、とも思い、宇都宮大学の学生に聞いたところ、

 「高校で、集団で発表する課題が出され、当日その中の1人が忘れたら、みんなが怒られました」と、

 当時の私と同じように憤慨していた。

 

   私が大学の法学部に入学して、当該行為を行った行為者本人のみが責任を負うという

  「個人責任の原則」を学んだとき、非常に納得すると同時に、

  教員による人権侵害に怒りを覚えたことを、今でもはっきりと覚えている。

 

   例えば、民法上の不法行為責任は、故意や過失により自ら引き起こした損害に対してのみ、

  損害賠償の責めを負う(民法709条)。

   もっとも、責任無能力者の監督責任(民法714条)、使用者責任(民法715条)などの例外はあるものの、

  監督義務や、実質的な指揮監督関係がない者の行為についての責任を負うことはない。

 

   また、刑法上も、自分が関与していない行為について、責任を問われることはない。

 

   ※民法714条とは異なり、未成年者が犯罪を行った場合において、当該個人を

    処罰できないとき(刑法41条)であっても、代わりに親に刑罰が科されることはない。

 

  おそらく、教員としては、連帯責任を課した方が、自分の指導力不足を隠すことができて

 仕事がやりやすいために、子どもたちに連帯責任を課すのかもしれない。

 

  しかし、子どもたちに、クラスメートを監督する義務は一切ないのであるから、

 他人の行為を理由として別の人間に連帯責任を課すことは、妥当ではない。

 

  「あなたのせいで、無関係の私まで先生に怒られた」と、

 クラス内の人間関係を悪化させるだけである。